遠藤浩良の雑記帳 当法人理事長遠藤浩良が個人的意見として発信する『遠藤浩良の薬学雑記帳』をお届けします。 薬学、薬業、医療に関する資料、情報、意見など盛りだくさんな内容です。
No.077
薬局の在り方に “温故知新”の想い

  私は、東武東上線で池袋から小一時間の埼玉県の田舎町で、戦前・戦中は「薬種商」として細々と営業していたお店が、戦後になって何とか薬剤師さんを雇用してやっとのことで「薬局」になった、小さな“街の薬屋さん”の長男として育ちました。ですから、今のように誰もが何時でも何処でもお医者さんに診てもらえる“健康保険”の制度など全く無かった時代を知っています。

  この時代、「医療費」というものは、それはそれは高くつくものでした。何せ、私が尊敬していた一人の先生がその田舎町の街の中に開いた「医院」の片隅には、しがない我が家の「薬局」とは違って、広々とした先生のお宅とは別に、先生が毎日午後の往診に使う人力車の車庫があり、そこには車夫一家が住まっていました。また、先生は、医者として当然な社会奉仕とお考えだったのでしょうか、貧しい隣り村で神童と言われた少年の一人を立派な医者に育て上げるべく、中学校から医大を卒業するまでずっと学費の面倒をみておられました。勿論ご自身のお子さん方もみんな学校に上げて、残念ながら没後でしたが、ご長男は後に東大医学部の教授になりました。このような生活の全経費は来院する患者さんの当然薬代も含む診療費でまかなわれるのですから、今の言葉で言えば自由診療で患者さんに請求する「医療費」が高いのは当たり前のことだったのです。

  ですから、私の家の“薬屋”と店を並べてささやかな商売をしている街の人々や、近くの村々の農家の方たちは、体の具合が悪くなると、”・・・お医者に掛からないと駄目だろうか? でも、何とか買薬(ばいやく)で済ませられないかなあ? ・・・“ と、先ず ”行きつけのお薬屋さん“ で聞いてみるのが常でした。それで、私が学校から帰る夕方には、「薬局」の店頭の長椅子に、前掛け姿の近くのお店の旦那や、泥だらけの地下足袋を履いた畑仕事帰りのお百姓さんがどっかりと腰を下ろして、自身や家族の容態を説明している様子が毎日見られたのです。つまり、”薬屋さん“ は、今の流行り言葉で言えば、間違いなく街の掛け替えのない “ヘルス・ステーション”、そこの薬剤師さんは頼り甲斐のある“ヘルス・コンサルタント”として、皆さんから絶大な信頼を置かれていたのをよく憶えています。

  そして、そうした相談の後に買って帰る薬は、「薬局」内のガラス扉が閉まった戸棚からか、あるいは中を覗き見ることすら出来ない、薬剤師さんの後ろにぎっしり並んだ小抽斗(ひきだし)の奥から、薬剤師さんが取り出して来てカウンターに並べたものを手に取って、しっかりと確認してから初めて支払いを済ませるのでした。勿論当時はそんな言葉はありませんでしたが、売薬、大衆薬、市販薬と言われる“薬”はすべて、まさに今言われる“Over the counter drug”(OTC薬)そのものだったのです。

  時には、相談を持ちかけた本人はそれ程に思っていなくても、薬剤師としては重大な徴候かもしれないと疑った場合には、すぐに普段から懇意にしている「医院」へ電話して診療をお願いする手配をすることもあり、後でお医者さんから勝れた判断をほめられたりしたものでした。この場合も当時の薬剤師用語にはありませんでしたが、まさに “受診勧奨“ を当たり前のこととしてやっていたのです。

  しかし、戦後暫くして我が国の医療制度も整ってきて、社会保障の一環である国民皆保険制度が確立した昭和36年(1961年)の後になったら、町や村の住民の皆さんは、何せ安い費用で気楽に医療を受けられるようになったのですから、これまでは立ち寄っていた薬局の前を素通りして「医院」や「病院」に直接行くようになりました。

  また一方、「スーパーマーケット」や「コンビニエンスストア」の出現で街の商店の様子もすっかりアメリカナイズされて様変わりするに伴って、従来の “街の薬局”までがこれに巻き込まれる事態となり、保健や薬の専門家としての薬剤師への市民の信頼が大きく揺らがざるを得ない今の厳しい時代がやってきたのです。

  そんな有為変遷の後、保健・医療・福祉に関わる社会制度上の幾多の改革を経て、現今では“かかりつけ薬局”や“かかりつけ薬剤師” という言葉があらためて登場する時代になったのです。

  つまり、83歳ともなった年嵩の薬剤師である小生の目からすると、薬局薬剤師の在り方として今こと新しく言われていることは、基本的にはほとんどすべて、過去には薬剤師像として存在していたものそのものなのです。ですから私は今、お若い皆さんに、薬剤師が街で市民の皆さんの健康を守る専門家の一員として重要な役割を果たしていた時代を是非とも再び「復活」させていただきたいという「温故知新」の想いに駆られるのです。

2013/11/29