遠藤浩良の雑記帳 当法人理事長遠藤浩良が個人的意見として発信する『遠藤浩良の薬学雑記帳』をお届けします。 薬学、薬業、医療に関する資料、情報、意見など盛りだくさんな内容です。
No.032
処方せんへの疑義照会は何故とかくトラブルのか?

  薬学研究者を主たる対象とする学術団体としては最も伝統のある日本薬学会の第130年会(岡山)がいよいよ3月に迫ったこの2月初頭、参加予約者には年会組織委員会から大部なプログラム冊子が郵送されてきた。広く薬学研究、薬学教育、薬剤師養成の万般に関わる約一万人が毎年1回全国から参集する大学術集会であるから、一般口頭発表にはすべての薬学領域から多数の勝れた演題が寄せられている。

  その演題区分の一つの「環境・衛生系薬学」の中に、小分類として“社会と薬学”という項がある。これは、医学全般を区分けする時、昔から医学(厳密には西洋医学)は「基礎医学」、「臨床医学」、および「社会医学」に大きく三分類され、「社会医学」には衛生学、公衆衛生学や法医学などが入るとされてきたことに関係しているのであろうか。

  すなわち、薬学の歴史をひもどくと、その初めには、現在のように大学の中で医学部とは独立して薬学部が存在するのではなく、医学部の中に薬学科が存在し、その研究・教育の単位の一つとして「衛生・裁判化学」があった。上述の「社会医学」に対応する薬学の領域である。これが、日本薬学会年会の発表において、「環境・衛生系薬学」の中に“社会と薬学”という小分類がある理由であろうか。

  ところで、その発表題目を見ると、一番初めには、「裁判例から考える薬剤師の疑義照会の意義」と題して、6つの薬系大学および1機関の共同研究による演題が6報続けて並んでいる。この内容は、『社会薬学』として区分されるのならいざしらず、「環境・衛生系薬学」の名の下にくくられるのには大いに疑問があるが、今回それはさておくとして、ここでは皆さん方医療現場の薬剤師が日常的に直面する“処方せんに関する薬剤師から医師への疑義照会”という難問について、『社会薬学』的視点から基本的な問題を一つ提起してみよう。

  病院と薬局という医療現場では、医師の処方せんについての薬剤師の疑義照会に対して、処方医が “どうして薬剤師がそんなことを言ってくるのか”とうるさがり、時には医師と薬剤師、あるいは病院診療所と薬局の間でトラブルにさえなりかねない現実があることは小生もよく知っている。この医師側の態度に薬剤師の皆さんは憤慨しますが、小生は冷静に客観的に考えてみると、これは医療に関わる法制度についての大学教育の現状からして、起こるべくして起こる当然の事態なのだと思う。

  内容に疑問のある処方せんについて、調剤に当たる薬剤師が処方医に対して疑義照会することは、薬剤師にとっては、自らの果たすべき業務を規定する基本法ともいうべき「薬剤師法」の第24条に定められた法的な行為義務である。

  それ故に、薬系大学における薬剤師教育においては、薬事関係法規の授業で、この点を教員は学生に対してくどい程に口うるさく教え、薬剤師法を主管する行政機関である厚生労働省が実施する薬剤師国家試験にあってもよく出題される。

  ところが、医系大学における医師教育では、この点に関する事態が全く違っている。すなわち、保険医が患者に交付した処方せんの内容に対して、調剤に当たる保険薬剤師から疑義照会があった場合、保険医はこれに適切に対応しなければならない旨を医師の業務として規定しているのは、上述の薬剤師の場合の薬剤師法に対応する「医師法」ではなくて、健康保険法、日雇労働者健康保険法、および船員保険法の下位に位置する「規則」である”保険医療機関および保険医療養担当規則”の第23条2項なのである。

  それ故、医系大学における医事関係法規の教育にあっては、”疑義照会”は教科書には言葉すら出てこない実に些末なことである。したがって、研修医に尋ねてみれば歴然とするが、医学部学生は6年間の在学中に何と「疑義照会」という言葉を一度も聞いたことがないのが実情である。だから、医師国家試験でこれが問われることもないので、医療現場で医療に従事する医師が自らの処方せんの内容に対して調剤に当たる薬剤師が疑義照会してくることの意義をわきまえていないのは、医学教育の現状からすれば当然のことで、これをうるさがる医師を必ずしも一概には責められない実情がある。

  この点に関連しては、「医療法」の総則第1条の4、第3項には、医療提供施設間の情報提供と必要な措置を講ずる努力義務が総論的に広く規定されているので、医系大学における医師教育にあっても、これを具体的に、薬剤師からの疑義に対して、医師は適切な措置を講ずる義務があることを、現在の医学部教育の中でも教えられることは確かである。

  しかし、薬剤師法に照応して、医師法においても、“医師は、処方せんについての薬剤師からの疑義照会に対して、適切に対応しなければならない” と規定されたならば、医学部学生は必ずやこの点をきっちりと教育されることにならざるを得ない。そうしたならば、”疑義照会”をめぐって医療現場で医師と薬剤師の間が今のようにギクシャクすることは決してないであろう。

  医療法も、医師法も、また薬剤師法も、それぞれ独立に制定され、折に触れ必要に応じてそれぞれ独立に改訂されてきた経緯があるので、これら医療従事者に関する法律の間に整合性が欠ける点が生じてきたのもある程度は止むを得ない面があろう。

  しかし、患者中心の医療が真剣に叫ばれている現在、真に国民の健康を守れる医療の法体系を確立するよう、現行法に問題点がないかを仔細に検討し、具体的な改善策を講ずる必要があるのではなかろうか。

  それにしても、医師法とか医療法の改正を薬剤師の側から提案するのは、前代未聞の大変な作業には違いない。それでも、国民の医療をより適正なものにするために、日本薬剤師会や日本病院薬剤師会などの職能団体や、また日本薬学会や日本医療薬学会、さらには日本社会薬学会などの学術団体が糾合して、日本医師会や日本医学会、さらに厚生労働省などの関係諸団体や医療行政機関に働きかけることを真剣に考えてみるのは、決して荒唐無稽とも言えないであろう。