遠藤浩良の雑記帳 当法人理事長遠藤浩良が個人的意見として発信する『遠藤浩良の薬学雑記帳』をお届けします。 薬学、薬業、医療に関する資料、情報、意見など盛りだくさんな内容です。
No.010
副甲状腺ホルモンとインスリンの
経粘膜適用製剤から想うこと

  メールマガジン第8号では、小生らが1980年に当時教科書には全く書かれていない副甲状腺ホルモン PTH の骨形成促進作用を NATURE 誌に発表したときには世間からあまり注目されませんでしたが、30年近く経った今では、 欧米でPTH 製剤が骨粗鬆症薬として第1選択になりつつあることをお話しました。

  しかし、こうしたタンパクないしペプチドの製剤は、患者にとっては毎日注射しなければならないという使用上の不便さを免れません。そこで、こうした製剤の非侵襲的な投与法がいろいろと試みられ、欧米では既に実用化されています。

  この線上のPTH関連骨粗鬆症薬製剤に関しては、2008年4月16日に、PTHの環状31アミノ酸アナログであるOstabolin-C [ cyclic PTH-(1-31)] の鼻腔投与スプレー製剤の開発で、以下の通り、Zelos Therapeutics社と AegisTherapeutics社の提携が発表されました。

http://www.genengnews.com/news/bnitem.aspx?name=33833626
Zelos Therapeuticsand Aegis Therapeutics Announce Collaboration for IntranasalDelivery of Zelos' ZT-031

  一方 NASTEC社は、以下の通り、 天然のPTH の生理活性を担うN末端ペプチドである PTH(1-34) の鼻腔投与製剤を開発しています。

http://www.nastech.com/nastech/parathyroid
Intranasal Parathyroid Hormone for Osteoporosis

  こうした世界の趨勢からすると、誠に残念ながら、骨粗鬆症薬に関して日本は完全に置いてきぼりをくっていますね。日本女性の平均寿命は世界一長いのですから、閉経後骨粗鬆症の女性患者はどんどん増加しているのに、古い薬しか使えないのですから。

  しかし時には、こうした医薬品開発に我が国が遅れをとったことが却って良かったかなと、ホッとする想いをすることもあります。その例に、やはり毎日注射をしなければならない糖尿病薬インスリンの不便さを経肺投与の吸入剤で解決しようとした製剤があります。

  すなわち、Pfizer社はこのインスリン吸入剤 Exubera (エクスベラ)をドル箱商品にしようと大々的に宣伝し欧米で売り出したのですが、吸入装置が大仰だったことなどが原因したのか、期待はは完全に裏切られて売り上げは全く伸びず、遂に市場からの完全撤退を決定しました。

  しかし、ファイザー社の言い分を信じて従来の注射剤からこの吸入剤に転換した患者さんはいるわけですから、その患者さんに対してのみは一定期間に限り細々と販売を継続していました。

  そうしたら、この間に、この吸入式インスリンを利用した患者さんに肺癌症例の増大が認められたのです。

  この点に関連して小生は、2年ほど前に、長年インスリン注射を続けている薬学教員の友人に、以下のように書き送ったことがあります。

・・・・・・・・・・ 吸入型インスリン薬は製剤技術の観点からしたら間違いなく薬学の”進歩”と言えるでしょう。でも小生は、これにはまだまだいろいろ重大な問題点が潜在していると思っています。

吸入型ではインスリン所要量が通例の注射に比べたら、確か10倍くらいでしたか、極めて大量になりますから、こんな非生理的な大量のインスリンに毎日毎日継続して長期間曝されることになる肺胞粘膜上皮細胞が、最終的にどんな反応を示すかについてはまだ全く分かっていません。つまり、吸入型インスリン製剤の安全性に関する保証はまだ極めて不十分と言わざるを得ません。

小生の組織培養法による基礎研究経験では、いろいろな上皮性組織を完全合成培養液で培養するとき、つまり完全な Hormone-free の条件下で上皮細胞を増殖させるのには、微量のインスリンの添加が不可欠でした。

 そのようなインスリン添加培養液に、前立腺の上皮なら更にテストステロンを必要としましたし、乳腺の上皮にミルクタンパク質を合成させるにはヒドロコルチゾンとプロラクチンが要求されました。

 これらの知見から類推して、糖尿病患者の肺胞粘膜上皮が吸入型インスリン製剤により普遍的な細胞増殖誘起作用を持つインスリンに常に高濃度で曝されたら、やがては癌化するなんて不幸な事態が起こりはしないかと密かに懼れています。 ・・・・・・・・・・・   ・・・・・・・・・・


  同じ想いの人はやはりいるもので、アメリカで内分泌が専門の内科医のお一人が、「・・・ こんな細胞の成長因子(growth factor)であるインスリンを肺粘膜に適用するなんてとんでもない! 絶対に自分は処方しない!! ・・・」とブログに書いているのをその後読んだことがあります。

  このインスリン吸入剤の治験が遅れて上市に至らなかった日本や、販売は承認したものの costーbenefit の観点から従来の注射剤に勝れる点がないとしてこのエクスベラをNHSとしては償還医薬品に採用しなかったイギリスでは、糖尿病患者さんがこの副作用から免れたのですから実に幸いなことでした。

  といった次第で、タンパクないしペプチドホルモンの非侵襲的適用に関して、小生は今複雑な想いをしています。