IME 特定非営利活動法人 医療教育研究所 代替医療情報 光本泰秀教授
プラセボ効果とは?

はじめに

 医療は,ここ十数年ほどの間に,医師と患者が情報を共有し,十分なインフォームド・コンセントに基づいて信頼関係を築き上げていく方向に進んできた。それに伴い医師たちは,最も高い治療法を用いるために,「科学的根拠に基づく医療」Evidenced-based Medicine (EBM)に重きを置くようになった。それ故,新薬の臨床試験では,プラセボ群に対してその効果を評価することにより,科学的に薬の効力を証明することが行われている。一方,疾患領域により程度に差はあるものの,プラセボ群においても有益な効果が認められるという事実がある。このプラセボ効果に対する理解が,ここ数年急速に進んできた。プラセボを服用した際に脳内でどのような変化が起きているのか,その神経生物学的メカニズムに関する研究も盛んに進められている。補完代替医療に属する療法やその材料には,未だ科学的に未検証なものも多々あり,単なるプラセボ効果ではないかと疑問視されることも少なくない。様々な非薬物療法に関する知識を修得しようとするこれからの薬剤師にとって,プラセボ効果の背景やメカニズム解明の現状について正しく理解することは重要と思われる。

プラセボ効果発現の背景

 本来,薬物としての効果はない錠剤などを「特別の効果をもつ薬である」と伝えて被験者に与えると,暗示的な作用が働いて,説明された通りの効果が得られることがある。このような効果をプラセボ効果と呼び,その偽薬を“プラセボ(Placebo)”と呼んでいる。プラセボは、ラテン語での“I shall please”(私は満足するでしょう。)に由来する。外見上では本物の薬と区別のつかない,いわゆる偽薬で,現在では乳糖の錠剤などが用いられている。偽薬によるプラセボ効果を最初に報告したのは,ハーバード大学麻酔科の教授であるBeecher博士で,1955年に発表した「The Powerful Placebo」が有名である。Beecher博士は,15件の種々の疾患に対するプラセボ対照比較試験を解析し,対照群1082例中35%の患者にプラセボのみで効果が認められたことを報告している。プラセボ効果は,臨床試験において薬効の正確な評価を行う上での妨げになることから,長い間厄介者扱いされてきた。しかしながら,ここ最近,プラセボ効果自体に医療従事者の関心が集まり,研究対象の一つとして注目されるようになってきた。プラセボ効果発現の原因に関しては様々な説があるが,治療や医師に対する信頼感や薬が「効く」という期待感がその根底にあるというのが大半の見方である。
 ブリティッシュコロンビア大学のLidstone博士らは,実薬を投与される確率が高いと聞かされたパーキンソン病患者では,プラセボを投与されても線条体におけるドパミン分泌量が高くなることを昨年のArchives of General Psychiatry誌で報告した。まさにプラセボ効果が期待の強さに依存することを示したことになる。ミシガン大学のScott博士らは,プラセボ効果が発現する際に働く脳領域についてポジトロンCT(Positron Emission Tomography, PET)を用いて検討した。その結果,薬剤の鎮痛効果に対する期待が大きいほど側座核におけるドパミンの分泌量が高まっていることがわかった。また薬剤の痛みに対する緩和効果を高く評価したほど,プラセボ効果発現時の側座核の反応性が高かった。これらの結果から,プラセボ効果発現の背景には,信頼感や期待感といった感情の変化が起点となり,そのことが脳内の神経化学的反応に影響を及ぼしていると考えられる。感情の変化がどのようなメカニズムで化学的反応に影響を及ぼしているかは,今後の研究に委ねられている。
 一方,これまでの考え方を根底から揺るがすような興味深い結果が,昨年ハーバード大学のKaptchuk博士らによって報告された。これは過敏性腸症候群(Irritable Bowel Syndrome, IBS)の患者に対して「プラセボは,不活性な砂糖の錠剤で効力を示さず,臨床試験では心身に対して自然治癒力を与えたりする」と伝えたうえで治療効果を評価した。その結果,プラセボでもIBSの症状に対して治療効果が認められたというものである。すなわちこれまで考えられていたプラセボ効果は,あくまでも患者が「プラセボが何であるかを知らされない」という前提があったわけだが,この報告からすると患者が例えプラセボに効力がないことを理解していても効果が発現したということになる。
 通常の薬物治療では,症状や機能的異常の改善を患者が認識できることにより「薬が効いた」と感じるものである。ところがプラセボ効果では,患者の感覚に機能的異常の改善が必ずしも伴っていないという興味深い報告が,New England Journal of Medicine誌の2011年7月14日号に掲載された。前出のKaptchuk博士らによると,喘息患者で標準治療に用いられているサルブタモール吸入薬では20%の呼気量の改善が認められたのに対して,プラセボ吸入薬では7%の改善に留まったが,患者からの自己申告ではサルブタモール吸入薬が50%,プラセボ吸入薬では45%で,ほぼ同程度に呼吸を改善したと認識していた。これは喘息患者の自己申告と実際の肺機能の改善には大きな隔たりがあることを意味しており,同疾患に対するプラセボ効果に関して重大な問題を提起したと言える。

プラセボ効果は有用?

 既に述べたように,プラセボ効果は,臨床試験において薬効の正確な評価を行う上での妨げになることから,長い間厄介者扱いされてきた。そこには,薬を用いながら薬に依存しない効果が上乗せされるため,科学的に薬効を評価できないという理由がある。しかしながら患者側から見れば治療効果を得たことに変わりない。患者を治療するための材料や方法が単に経験則によるものではなく,科学的に有効性や安全性が立証されたものであることは重要であり,医療には科学的な裏付けは欠かせない。ただ“科学的に裏付けできない=有用でない”と単純に判断して良いものだろうか。今後,プラセボ効果の背景にある脳内での変化や科学的メカニズムが明らかになり,医療従事者がプラセボ効果を最大限に引き出せるようになることで,この効果が誠実な医療の一つとして組み込まれる日が来るかもしれない。